産後のつらい全身の痛みを生々しく伝える体験談ブログ

出産・育児

32歳の私が、初産で息子を出産し、長時間の分娩、吸引分娩、会陰切開を行うことになった結果、貧血によるめまい、会陰切開の傷、血腫、メンタル崩壊など産後の痛みやトラブルに悩まされました。実際に私の体に起きた産後のトラブルについて生々しく紹介したいと思います。

戦いは終わり、大量の出血を負った私の身体・・・

4月3日、分娩台の上で戦いは終わった!
戦いに勝利した!と開放感から、興奮していた。

ちなみに、分娩までの痛みとの戦いについて気になる方は、こちらから。

出血が多過ぎたため、車椅子で移動した。
ベッドでは、頭を低く、足を高く上げられた。
「大丈夫、陣痛に比べれば、、こんな貧血なんてへっちゃら。」そう思っていた。

しかし、トイレに行こうと立ち上がるとフラフラとめまいがした。
「あー、貧血だ・・気をつけて移動しよう。」とヨタヨタと移動した。

トイレに着いて、ショーツを下げると絶句した。

これが、産後の悪露というものか・・・。
思っていたより、ひどい出血量で、今までに見たことのない血液量・・・。

産褥パッドを変えるのが怖いくらいの血液量だった。

ちなみに病院で配布される産褥パッドの数は限られていた。
薬局にもなかなかない売ってないので、生理の夜用と昼用のナプキンをくっつけて、使っていたが、もう少し買っとくべきだったと猛省した。

私の産院では下のMとLが1パックずつ配られていたが、全然足りなかった。
結局、何度もパンツを悪露で汚す羽目となった・・・。

その日は、久しぶりに眠りにつけた。
「陣痛がない!!嬉しい!!!」
本当に不思議な気分だった。

あれ?歩けない?どういうこと!?

次の日になり、朝ご飯。完食。
陣痛がないから食べられる!美味しくいただけるって素晴らしい!と高揚していた。

そして、起き上がってトイレへ行こうとしたその時・・・。

あれ??歩けない。

そう、会陰部が死ぬ程痛くなっていた
「嘘、なにこの痛みは・・・」
足を引きずりながら、少しつづ少しづつ歩いてトイレまでいった。

そして、トイレするのも一苦労だった。
力を入れると死にそうになり、30分くらいトイレに籠る。
大部屋なのに、大迷惑だったなぁと今は思うが、、、その時は必死だった。

すぐさま看護師さんを呼び、痛み止めを処方してもらった。
飲んでも座る時は痛く、円座クッションをベッドに敷いて座ったり、とにかく会陰部は激痛だった。

会陰部をはちゃめちゃに切られたら、最初は、硬めの円座クッションが絶対必要。一度、病院で柔らかいのに座ったら、痛くて死にそうだった。

私は、産後1ヶ月半ずっとこの円座クッションを使っていた。
ちなみに、この円座クッションは、硬めと柔らかめのリバーシブルになっていて、初め1ヶ月くらいは固めで座り、その後柔らかめの面に座れるようになった。
これがないと本気で椅子に座るのが怖かった。

ご飯を食べるのも少し身体を起こして、移動するのが痛い。
毎回「イテテテ。」と言いながら若干息を止めて移動していた。
とりあえず、ベットの上でなんとか痛みを逃そうと頑張っていた。

忘れていたベビーのお世話がやってきた。待ったなしで・・・

そんなこんなで、なんとか痛みを逃す方法を考えていた私に、看護師さんは容赦無く言ってきた。

それでは、赤ちゃん連れてきて大丈夫ですか??

おっと、今日くらい見てくれるのかな〜と期待していた・・・。
こんなボロボロの身体でも容赦はなかった。

あっ、もう来るんですね。
分かりました。

そして、ガラガラーとベットに乗せられて赤ちゃんが来た。
赤ちゃんは、寝ていた。
思わず。「わぁ〜可愛い〜!!」と言った。


そして、看護師さんに、

ミルクの時間ですから、おっぱいをあげてください。

と言われた。

えっ、まだおっぱいでないですけど・・・?

と言ったら、看護師さんに乳首をつねられた。
「イテテテ。そりゃまだ出んやろ・・・。」と思っていたが、何度か捻られ続け、少しだけ出始めた・・・。牛乳を絞られる牛になったような気持ち・・・。

赤ちゃんに少しでもいいので、毎回母乳をあげてください。

「イヤイヤ、座ってるのもヒィーヒィ言ってんのに!?」と強く思っていた。

しかし、仕方がない。母にはそんな弱音を吐く余裕も与えられない。
おっぱいをあげたり、足をプルプルさせながら、オムツを替えた。
スパルタ病院・・母・・休む暇なし・・・・

そして、赤ちゃんの想像を絶する吸引力により、すぐに私の乳首はかぶれてしまった。血が出て、かさぶたができて、本当に痛かった。

その時に、友人からもらっていた「保湿クリーム」を乳首に毎回塗っていた。
これは本当に保湿力がすごく、痛みが少し和らいだ。
万一、赤ちゃんの口に入っても大丈夫っていう優れもので、とても重宝した。

産んだ次の日からこの赤ちゃんの乳首吸引攻撃と会陰部の激痛に耐える戦いが始まった。
ちなみに、初産の場合は、産んだ翌日から5日間の入院が必要だった。

両家のジジババがやってきた!

産んだ次の日にすぐ、両家のジジババはやってきた。
会陰部激痛の為、円座クッションに座りながら、微笑みながら口数少なくとりあえず耐え忍んだ。

ジジババは大喜びで赤ちゃんを抱っこしていた。
皆が幸せそうで、よかった。本当に。
無事に産めたそれだけでよかった。と思っていた。

しかし、痛い。痛すぎる。

夜だけはなんとか預かってもらおう・・・

夜になると、母子同室が推奨され、ほとんどのお母さんが寝る暇もなく頑張っていた。

しかし、私は、みんな頑張るから頑張るというタイプではなく、いやこの産院のあと残り4日を耐え忍ぶためにも、とりあえず夜は寝たいと思っていた。
そのため、私は看護師さんに懇願した。

すいません。フラフラするので赤ちゃんを預かってください。

貧血がひどいということもあり、なんとか預かってもらえた!!

会陰部の痛みと戦い続け、痛み止め6時間起きしか飲んではいけなかったが、
若干フライングしながら耐え忍んだ。
1日3回までと言われたが、深夜0時を超えると次の日や!とすぐに飲んだ。
そのくらい、我慢できない痛みだったが、痛み止めを飲むと眠ることができた。

赤ちゃんのお世話の講義中、会陰部が痛いことしか考えられなかった・・

4月5日。産んで2日後から、赤ちゃんのお世話の講義が始まった。

30分くらいの講義が始まるも、これも正直苦痛だった。
まず、貧血でフラフラしながらポカリを飲む。
会陰部が痛い痛いと思いながら、聞いていた・・・。

早く終わってほしかった・・・。
ほとんど頭に入っておらず、内容を思い出せない。
赤ちゃんのウンチが何色かとかそんな話だったと思うが、聞いている余裕がなかった。

しかし、衝撃的なことに、ほかのお母さんでクッションなしで椅子に座っている人もいた。「えっうそ?本当に同じ日に産んだ?」と驚きっぱなしだった。

赤ちゃんのお世話も苦痛で、夜は寝たくて懇願した・・・

正直、赤ちゃんはまだ毎回可愛いと思える余裕がなく、一緒の時に泣いていたら絶望した。
まず、「痛い」と言いながら、起き上がって、ベットから降りる。
ベットから降りる振動も痛い。
そして、プルプルしながらオムツを替え、母乳を少しあげてから、ミルクを看護師さんにお願いする。
そして、「ヒィーヒィ」言いながら、ゲップをさせた。

そして、また夜は懇願した。
そうすると、看護師さんからこう言われた。

帰ったら赤ちゃんと2人きりですよ。
基本的には、母子同室を推奨しているんです。
家に帰ったら一人でやっていくしかないんですよ!

はい。
分かってます。でも、まだフラフラして赤ちゃんを落としそうで、本当に怖いんです。

ちょっとだけ大げさに伝えて、なんとか預かってもらえた。
そうすると、とりあえず、「次にあげる母乳を絞って。」と搾乳機を渡された。
「えっ、ミルクでよくない!?」と思ったが、従うしかなかった。

しかも、手動の搾乳機だった。
もうこれがまた大変だった。
電動のは1つしかなくて、違う人が使っているからと言われた。電動の搾乳機を持ってくるべきだったと後悔した。

参考までに、私は、西松屋で以下の電動搾乳機を購入した。
手動は産院でやってみたら本当にしんどかったので、電動のものを購入した。
他のを使っていないから分からないものの、しっかりフィットしてくれて問題なく、お乳を搾乳してくれた。

そんなこんなで痛みを抱えながら、なんとか病院での日々を過ごした。

医師の内診で、血腫が見つかる!!!!

明日は退院というところまできた。

痛みは変わらないが、痛み止めに助けられながら耐え忍んだ。
基本的にはベットで横たわりながら、円座クッションをお尻の部分へ入れて、腰をうかして、なんとか会陰部をどこにも触れさせないようにしていた。

退院を控え、医師の内診があった。

3日に産んだお母さん達が内診室の前の待合室の椅子に大集合した。

少しだけ他人と話せる余裕が出てきて歓談した。
切迫気味で1カ月も入院したお母さん、着いた時には頭が見えてて産み落としそうになったお母さん、色々だった。
でも、皆それぞれその時には、悩みがあり、頑張って戦って我が子を産んだんだなぁ。
自分だけじゃない!そう思った。

内診は一人ずつ。みんな内診が終わるたび、「あ〜痛かったです。」と言っていた。
心の中では、「まだ痛いことするのか・・・。もう勘弁してよ。本当に。」と思っていた。

内診の番が来た。

ヨタヨタと内診台へ上がって、見てもらう。
医師が見た瞬間こう言った。

うーわー・・・これは痛いわ。。。
ちょっと触りますね。

痛い痛い〜!
やっぱり。そんなにひどいですか??
尋常じゃない痛みで、いつも腰を浮かしてないと辛いです。

うん。これねぇ、血腫ができているわ。
親指の第一関節くらいのやつ、膣の入り口1センチ奥くらいにあるよ。

血腫・・・って何ですか?????

血の塊やね。多分、吸引分娩で急速に分娩が行われたから、その衝撃で血の塊ができてるみたい。
でも小さめやから手術はいらないと思う。自然に消失すると思うけど、あと最低1週間は痛いと思うわ〜。

あと、1週間ですか。
分かりました・・・。

血腫の部分を触られると、思わず「痛い痛い!!」と叫んでしまった。。
顔面蒼白になりながら、着替えて、外に出た。

先ほど、待合室で歓談したお母さんの顔が硬っていた。
ちょっと大きい声出しすぎたかな?と思いながら、病室へ戻った。

「はぁ〜明日退院やけど、車乗れるんかな?」
「歩くのもめっちゃ時間かかるし、会陰部が痛すぎて、腰浮かして乗らなあかんやん。どうしようか・・・。」と考えていた。

スーパー看護師が勧めてきた座薬が・・・私の命を救った!

総合病院は、何十人も看護師がいて、頻繁に入れ替わる。
大体会った瞬間、当たりか外れかが分かってきた。
機械作業のように接する看護師さん、しっかり寄り添ってくれる看護師さん、色々だった。始めは、看護師さんの対応の違いから苛立ったりしていたが、ここまでくると、慣れてきた。

そして、幸運なことに、退院の前日にスーパー看護師と出会った。
赤ちゃんの泣き止み方など、本当に色々教えてくれた。
そして、痛み止めも、坐薬を勧めてきた。

どうですか〜??痛みはまだありますか?

痛すぎて、正直明日帰れるか不安です・・・。

座薬の痛み止め試してみます??

座薬!?いや、そんなのいれて、大をしたくなったら、もう本当に痛すぎて死んでしまいますから、大丈夫です。

座薬と言っても下剤ではないので、大丈夫ですよ!

そうなんですか!?
少しでもよくなるなら試してみようかな??

座薬に抵抗があった私だったが、恐怖より痛さが勝ちすぎて、少しの希望にかけてみることにした。
トイレで入れ方を教えてもらい、実施した。
この座薬は、小指の第一関節ほどの小ささで開けると、ろうそくのロウの柔らかいような感じだが、スーパーな痛み止めだった。

座薬を入れて、1時間経たないうちに、ほとんど痛みがなくなった。
「すごい、すごすぎる!!」
スーパーマリオが星を獲得したように、イケるイケると調子こいて躍りそうになるくらいだった。
産後初めて笑顔になれた気がした・・・。
嬉しくて、すぐにその痛み止めが効いているうちに、シャワーへ入った。
廊下で歩いていてもシャワーでかがんでも痛くなくて、嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

看護師さん、この座薬本当にすごいです!
教えていただいて、ありがとうございます。
この座薬を多めに処方お願いできますか?

そう言って、20錠も処方してもらった。

よし、明日は退院だ!!!これなら、きっと大丈夫!!!

赤ちゃんが黄疸治療で一緒に帰れず、産後メンタル豆腐状態

ところが、こんなことが起きてしまった。

あかちゃんの黄疸の数値がギリギリ基準より高めなので、
赤ちゃんだけもう1日入院した方がいいと思います。

えっ?一緒に帰れないんですか???(泣)

黄疸治療について知りたい方はこちらのリンクへ

調べてみると生後1週間以内の新生児の大多数で、黄疸がみられ、2週間以内に消失するらしいのです。我が子は、基準値より高めだと、治療をすることを推奨された。

普通に考えたら、1日の入院なので、そこまで深刻ではないはずなのに、涙が止まりません。そして頭の中でこんなことがぐるぐるし始めました。
「私のせいかな?」「何が悪かったの?」「あんなライト浴びて我が子は大丈夫なの?」と自問自答し始め、涙が止まりません。

これが産後のメンタルなのか・・・。
いつもとは違う落ち込み様に、主人も驚いていた。

産後の会陰切開の傷、血腫、腰痛どれもとても痛かった。
でも、赤ちゃんと一緒に帰れないということが一番心にズーンときて、とても辛かった。

あぁ生きてる・・・。と涙が止まらない・・・

そして退院の日がやってきた。赤ちゃんと帰りたかったけど、仕方がない。

また、赤ちゃんのために手動でミルクを絞った。
この時は、とてもお乳が腫れ上がっていた。これもまたとっても痛かった。
黄疸治療のため、少し母乳を飲ませていなかった。お乳が、硬くなりすぎて、本当に熱をもって、痛くなっていた。
それでも、内心「ひーひ」言いながら、頑張って絞った。

そして、明日すぐに迎えに行こうと決心した。

スーパー看護師さんにお礼を告げて、右手に円座クッションを持ちながら、退院した。そのくらい、円座クッションを手放せなかった。

車で帰宅。
深く腰掛けることはできず、半ば身体を浮かしながら、上側の持ち手に捕まり続けて、帰宅した。

4月9日は、晴天で、帰りの車から桜が見えた。
桜を見ていると、涙が出てきた・・・。
「あぁ、私、生きてる・・・。」
と、病院の外では日常が広がっていた。

帰宅したら、実母が寿司を買って待っていた。
座薬は入れていたものの、やはりまだ少し痛くて、座って食べられず、立ったまま完食した。
そしてお寿司を食べながら、無事に帰れたことが嬉しすぎて、家族の前で泣いた。

そうして、とりあえず、死にそうなくらい痛かった日々に終わりを告げました。

しかし、退院後もしばらくボロボロの日々を送ることになりました・・・。

退院後の惨状を知りたい方はこちらへ

これから出産するママへ

ありのままに真実を書きました。
少し脅かしてしまったなら、ごめんなさい。

でも、産後の痛みは恐ろしいほど、酷いものでした。
ここまでの痛みがあった人は少ないかもしれないですが・・・

私は、出産に適していない身体だったのかな?と思うほど、苦労がいっぱいでした。
長時間の分娩、吸引分娩、大量出血、メンタル崩壊などなど。
よく、言われるような体調不良を一通り、経験しました。

こういうナイーブでネガティブなことってあまり身近な人から聞かなくて、
「ポンと生まれてきました。」「安産でした。」「産後もとても元気でした。」みたいなことがよく耳に入ってきます。
でも少なからず、出産していたら何かしらの体調不良を経験している人が多いと思います。みんな平気な顔をしているだけじゃないかな?と思います。

今回の壮絶な体験から1つ言えるのは、痛みを我慢し続ける必要がないし、しんどい時はしんどいと言うことが大切だと思いました。
だって出産って本当に大変なことです。

産後の体調不良でしんどければ、夜間は、赤ちゃんを預かってもらっていいと思います。
会陰切開の傷が痛すぎたら、他に痛み止めないか聞いてみたらいいと思います。
辛くて泣きたい時は泣いたらいいと思います。

少しでも多くのママが我慢せずに、安らかな産後を送れるように、参考になれば嬉しいです!

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