初産の出産レポ!60時間を超える過酷な分娩の痛みの体験談ブログ

出産・育児

32歳の私が、初産の息子を出産した時の長時間にわたる分娩の経過と痛みについて紹介します。陣痛促進剤から吸引分娩も経験してどうだったかについて、生々しく体験談をお伝えしたいと思います。

出産予定日を1週間過ぎたある日突然やってきた・・

それは、深夜2時頃。

なんだか生理痛のような痛みとともに目が覚めた。

ドバッと出る感じではなく、何かチョロチョロと自分の意思とは反して、出た感じ。。
トイレに行ってみると、少量の血と一緒に破水したよう。

破水ってドバッと破水するイメージだったけど、こんなちょろちょろもあるんだと半ば、驚きながらすぐに、病院に連絡し、「破水したみたいです。」というと、即来るように言われた。

「あー、とうとう来たかという感じ。」

愛犬と離れるのが寂しく感じながら、「弟産んで来るからね。」と話すとリビングのソファーから玄関の方を見るだけでいつものようについて来ず、何かを感じているようだった。


ここからこんなに長い陣痛と戦うとは知らずに....

病院へ到着からの微弱陣痛1日目

病院に着くと、夜間受付から産科へ通された。

夜勤の看護師さんが手際よく内診してくれた。

破水してますね、入院です。

と言われ、体重を測ってくださいと体重計を出された・・・。

「おぉ、ここでも体重測るんか・・・、もう終わりやと思っていたのに。」と内心ショックを受けながら乗ると、前回より1.5キロも増えていた・・。
「ヤバイ・・。これ服の分引いてくれてるんかな?」と考えていた。

しかし、とくに怒られることなく(体重が増えすぎるといつも指導有)、大部屋の病室へ案内された。

時刻は夜中の3時を回ったところくらい。

旦那さんとはお別れし、慣れない硬いベッドに横になった。

生理痛のような痛みが10分おきくらいに来るのと、硬めの慣れないベッドでその日は眠れなかった。

破水したのが3月31日の深夜。ここから長い戦いが始まった。

31日の朝、まだ余裕があった。
朝ご飯も完食できた。
総合病院の為、食事はとても質素だったが、美味しく頂いた。
ちなみにこの食事の記憶があるのは、この日のみ。あとの記憶はない。

この日は旦那さんは朝から付き添ってくれ、昼過ぎに実母がケーキを持ってきた。
まだ話す余裕があったので、母親も「まだやね。」と言われた。
「お腹痛いなぁ・・・。」と言いながらもケーキを完食し、シャワーへ入った。

ここまでの痛みは生理痛の1日目くらいでそこまで痛くない。
時折、若干痛いけど、まだ痛いとか言えるレベル、人と話せるレベルだった。

陣痛が徐々に強くなってきた・・・

そして、4月1日の深夜。
陣痛が強くなってきた。止められない痛み

「うわぁ〜きてるきてる。」という感じで、痛みの波とともに全身にとても力が入る。
10分おきに痛みの波がやってくる感じで、ヨガの呼吸法を取り入れながら、「スースースーッ。」と痛い時は大きく息を吐いて、1分ほどするとマシになって、痛みが緩んだら鼻から息を吸う感じでいきみを逃した。

個室は追加料金がかかるというのもあって、ケチって四人部屋の大部屋にしたため、私の息遣いが真夜中の病室に行き渡る。

これが、とってもストレスだった。

部屋が満室だったため、切迫早産の恐れがある患者さんと同じ部屋だった。

なんだか私だけがきちがいのように、悶え苦しんでるのが少し恥ずかしく感じ、個室にすべきだったと反省した。

でも、それどころではなかった。
陣痛が来ると、ベッドの柵に捕まり、耐えた、、、、
陣痛がおさまるたんびに、ペットボトルの水を飲んで、うちわであおいで、次の陣痛の波まで死んだように身体を休ませた。勿論寝られるわけがなかった。

ペットボトルはいちいち口を開けてられない苦しさなので、ストロータイプのものを予め、100均で購入していました。本当にこれがあってよかった・・・。

本当に長い戦いだった。

地獄を見始めた入院2日目・・・

そして迎えた4月1日の朝。

7分起き、5分起きと陣痛の間隔が狭くなってきた。

歩いた方がお産が進みますから、できるだけ院内を歩いてみてください。

「こんなにしんどいのに歩かないといけないの!?」と内心苛立ちと悲しみを持ち合わせながらも、仕方なく、病院内を旦那さんと共に歩いた。

途中陣痛がくると、「辛い。腰が砕けそう。」
イメージとしては、トラックに腰をぶつけられたような衝撃が走る。
陣痛って、下腹にくるものと思っていたのですが、違いました。
完全に腰が死ぬほどやられる感じです・・・。

私は、不妊治療の体外受精で子供を授かりました。
採卵の痛みについてもブログを書いていますが、採卵の痛みとは比べ物にならないものでした。

陣痛きたわ。押して〜。

これを1日に何10回も繰り返し、旦那さんに言っていた。

その度に旦那さんに押してもらう。
「なんなんだこの痛みは(涙)」本当に辛かった。

特に、トイレに行きたくなり、トイレの中での陣痛が始まった時のダブルパンチは、もうこの世の終わりかと思うくらい苦しい。。トイレの持ち手にしがみつき、いきみ逃し。。

本当に死にそうだった。
しかし、まだまだ序章だった。

今日、生まれるかな??陣痛室にそろそろ移動かな?

と言われていたため、「ようやく産める!」と高揚していたが、お気に入りの看護師さんが交代し、怖い看護師に変わると陣痛が遠いた・・・。

総合病院は、看護師さんが何十人もいて、大体半日から1日で看護師さんは交代だった。

総合病院での付き添いは陣痛室に入ってからのため、旦那さんは帰される。

また、孤独な夜を迎え、私の苦しい呼吸が病室に行き渡る。

度々、脳みそが吹っ飛びそうな痛みでナースコール押してしまう。

痛くないと赤ちゃんは生まれませんよ!

怖い看護師さんに、こういうことを言われると本当に心が折れそうになる。

テニスボールを背中と病室のベットにおしつけて、陣痛がくると戦って、終わるとうちわで扇いで、ポカリを一口飲むの繰り返し。夜中ずっとエンドレス。

さすがに、ほぼ3日寝てないとしんど過ぎて、リラックスできる薬を出してくれた。
そうすると、5分起きの陣痛の5分の間に死んだように寝れた。

「す、すごい。。」
痛過ぎて、なんの薬だったかは覚えていない。

そして迎えた3日目の朝

この日は月曜でやっと、医師の内診が入った。

どうやら、土日は医師の内診は基本なしで経過を見るようだ。

この日は、昨日リラックスできる薬のお陰で寝れたこともあり、少し元気。
しかし、最悪なことに、陣痛も7分起きくらいに伸びていた。

子宮口7センチやねー、どうする、促進剤使う??

ここまで来たら自然に産みたいと思うようになり、自然な陣痛を待つことを選択した。
しかし、この選択は間違っていた。

ここからが地獄だった。人生で一番長い1日を過ごすことになった。


陣痛は強くなる、体力は消耗していく。

「陣痛室に入りたい。」と看護師さんに言い過ぎて狼少年のような扱いになり中々入れてもらえず、大部屋で私の苦しみを響き渡らせる。本当に地獄だった。

ところが、深夜の看護師さんがラッキーなことに優しい人に代わっていた。

辛そうだね、内診しましょうか?

それは、4月2日の夜の11時だった。
赤ちゃんの頭が下がってきており、やっと陣痛室に移動できた。
旦那さんには自分で携帯から連絡した。

ものすごく、愛犬が電話越しで吠えていた。
「頑張れ頑張れ!」と聞こえてきそうなくらい。
ちょっと涙が出た・・・。

ここからがまた長い・・・

子宮口全開になるも、陣痛が5分起きのため、分娩室には入れなかった。。
どうやら、陣痛が1〜2分まで縮まらないとダメらしい・・・。


4月3日になった。
「もう産まれてきてー。」と言いながら、ロッキングチェアーという、馬のようなまたがる椅子に座ることを看護師さんから指示された

ここまできたら、もういきみ逃しではなく、いきんでください!

冗談かと思ったけど、本気だった。
私はこの木馬に乗って揺られながら、深夜2時間くらい、いきみ続けていた・・・。

本当に辛い。正直辛すぎて、もう辞めたかったが、辞められなかった。
陣痛は終わりがなかった・・・。

真夜中2時、看護師さんが全然巡回に来ない。

「これ、どんだけいきみ続けるねん、死ぬわ。」と思いナースコールを押した。
そして、恥ずかしながら、もう大の方を漏らしてしまった。とずっと思っていた。
しかし、これは赤ちゃんの頭が出そうになっているということだったらしい。

やっと来た!と思ったら、さっきとは違う看護師さん登場。

しんどい場合は、いきまなくてもいいですよ。
この調子の陣痛だとまだ生まれないので、ちょっと休んでください。

「もーどっちやねん、このやろー!!!!」と本当に恨みたくなるほど、
看護師さんによって方針が違っていた。

でも、そうは言ってられないし、耐えるしかなかった・・・。

最後の決戦・・・でもまだ長い・・・

4月3日の朝になり、看護師さんは交代した。

もう体力は残っていなかった・・・。
顔も洗えてないし、お肌はパサパサ、唇はガサガサになっていた。

朝ごはんはできるだけ食べてくださいね!!

食べられなかった。もうそんな元気はなかった。
それでも、ウィダーインゼリーを流し込んだ。

ちなみにウィダーインゼリーでもENERGYと書かれたものを持参するようにと病院の看護師さんから予め言われていた。
どうやらカロリーが違うらしい。
私は予め5個用意していたが、こんなに長い陣痛で買い足すこととなっていた・・・。

医師の内診があったが、内診室へ移動できなかった。
途中で何度も陣痛で動けませんと言うと、車椅子で移動させてくれた。

どうしましょうか?自然に生みますか?

内心は、陣痛促進剤を使いたくなかったが、もうそんな元気がなかった。

陣痛促進剤使ってください・・・。

この時はもう早く出したい。出したいとしか考えられない。

やっと、午前の10時くらいから、陣痛促進剤が点滴で少しずつ投与された。
陣痛の間隔が短くなってくる。
そして、めっちゃ痛い。痛すぎる。
子宮が破裂するのではないか?と思うくらい、体の中がもうおかしい。

なかなかでてきませんね。赤ちゃんの頭の位置が良くないからだと思うので、バランスボールにしがみついて位置を直しましょう。

いやいや、もう動けない。。
無茶振りがすごすぎる・・・。
それでも、1度この体勢になって前後に動くとしんどすぎて、「すいません。無理です」と言った。

そして、陣痛促進剤がどんどん強くなっていった・・・。
毎回トラックで腰を引かれるような激痛と肛門にずっしりくる重みでもう発狂。
私は、泣いていた。でも、もう大声を出す力がなく、泣いていた。
この窓から飛び降りて、この痛みをなんとか抑えたいと思ってしまうほどの痛みだった。

それでも陣痛促進剤はまだちょっとずつ強くなっていった。

すいません。
もうお願いですから、これ以上促進剤いれないでください。
子宮が破裂しそうです(涙)

もう少しいれないとね、厳しいですね。
陣痛を強くしてないと、分娩台ですぐに生まれないんですよ。

こんなやりとりを2回くらいした。

陣痛促進剤の痛みは正気でいられない痛みだった。
怖がる私に、「徐々に強くするから大丈夫ですよ。」と聞いていたが、まさかMAXまでいれるとは思ってもみなかった・・・。

この時に思った。私は今まで嫌だなと思ったらすべて逃げてこれたな・・・。と。
でも出産だけは本当に逃げられなかった。
だから母は強くなるってこういうことだったのかと感じた!

中々分娩室に移動できず、看護師さんの腕を何度も掴んで、「早く移動したいです。」と懇願していた。

やっと最後の決戦か!?分娩台へ到着!!

やっと移動したのが、午後2時15分。
もう辛過ぎて、陣痛促進剤もMAXに入れていて、頭が吹っ飛びそうだった。

分娩室に入るともういきまずにはいれなかった。
自然といきんでいた。
しかし、赤ちゃんの頭の位置が悪く、うまく出てこれなかった。

仕方なく、吸引分娩となった。
陣痛のタイミングで会陰部を切られる。
何回もジョギジョギ、6箇所以上切られた。

心の中で「どれだけ、切るねん〜!!!」と叫んでいた・・・。
というのも、会陰部切開を避けたいと、頑張って会陰部のマッサージを1ヶ月くらい続けていたからだ。

陣痛で切られるのは痛くないと聞いていたけど、意外に切られるのも痛かった・・。

若い女医さんが主担当。
「大丈夫なんかな??」と内心思いながらももうそれどころじゃない。
トイレがつまったときに使うような道具を出してきた。

はい。それでは、吸引しますからね。
陣痛きたら教えてください。

分かりました。

陣痛・・・来ました。
うぉ〜〜〜!!

どこから出てくるか分からないうめき声とともに、血管がちぎれるほどいきんだ。
「ようやく産める!!!」
そう思ったが、吸引の機械が外れてしまった。。。
どうやら少し小さすぎて、うまく赤ちゃんの頭が引っ張れないようだった。

もう一回いきますよ!陣痛きたら教えてください。

このやりとりを何回かした。

しかし、若い女医さんは、こともあろうか、次に出してきたのは吸引部分(赤ちゃんの頭が密着するところ)が金属でできたものを取り出した。
すぐさま、隣の男性医師に「違う。」と言われていた。

この時点で、吸引分娩も3回くらい失敗していた。
心の中で何度も、「勘弁してよ!!!しっかりして!」と叫んでいた。

最終的に、吸引部分が大きい分娩の器具を吸着させて、成功した!

あっ頭が出てきた!!

と言った瞬間、全身が出た。
その瞬間、大きな泣き声「ぎゃー、おぎゃーおぎゃー。」

「あーよかった。産めたんだ。」と思った。
長い長い戦いだった。

それは4月3日午後2時51分頃。分娩所用時間に62時間56分・・・。

我が子とやっと対面することができた。
すぐに赤ちゃんは隣の台に移動して、タオルでふかれていた。
赤ちゃんは、泣いてて、手足をもぞもぞと動かしている。まさか、この子がお腹の中にさっきまでいたなんて、信じられなかった・・・。

そして、一番驚いたのは、ずっと苦しんでいた陣痛は、産んだ瞬間にピタッと止んだこと。心底嬉しかった。

赤ちゃんを眺めていると、なにやらもぞもぞともう一度何かが出てきた。
それは、胎盤だった。
胎盤は結構固くてとってもしっかりしていて、気持ち悪かった。
よくこれを持って帰る人がいると聞いていたが、そんな気になれないグロテスクなものだった。

出血が多く、1.3リットルと言っていた。切開の縫合もかなり時間がかかる。
実は、これが地味に結構痛かった。会陰部に針が通るたびに「チクッ」とする感覚があった。
「そりゃあんだけジョキジョキ切りまくったら、そうなるよね・・・。」と始めは陣痛に比べたら大丈夫。と思っていたが、なかなか終わらず、痛みを感じ始めたので、

まだですか?
地味に痛いんですけど、麻酔してもらっていいですか?

ここ麻酔効き難いのよね。
もう少しで終わるから、ちょっと我慢してね。

と言われた。
出産ってほんまに痛いことだらけやなと思いながら、赤ちゃんが無事であることだけが本当に救いだった。

会陰切開の傷の縫合が終わると、分娩台で2時間休まないといけなかった。
看護師さんが、私のお腹を押して、お腹に残った血液を出していた。
どうやら、長時間の分娩のせいで、出血多量となっていたようだ。

それでも、この時は、看護師さんが何人かやってきて、

おめでとうございます!!

おめでとうございます!!

とたくさん言われるので、憎き看護師さんも中にはいたが、なんだか嬉しかった。
「あ〜やっと終わった!よかった!」と心から嬉しかった。

しかし、ここからまた、長い出産後の痛みと戦うとはこの時はまだ分からなかった。

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